注文住宅の設計工務店、兵庫県尼崎市のUSMORE - アスモア -

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スタッフ紹介 staff

明日がもっと好きになる

  • 川上幸子 (Kawakami Sachiko)
    インテリアコーディネーター部
    • 生年月日
    • 1970年生まれ
    • 育ち
    • 兵庫県尼崎市
    • 現在
    • 尼崎市
    • 資格
    • インテリアコーディネーター・ライフスタイルプランナー
    • 趣味
    • 美味しいものを食べること!です。
    • 一言
    • インテリアショップの企画営業を経て40代で住宅のインテリアコーディネーターに。
  • 1. インテリアの道へ

    ごく普通のサラリーマンの家庭に生まれ、両親・姉の4人家族で育った私です。
    幼い頃からやりたいことを好きにさせてもらい、進路についても自由でした。

    子供の頃からインテリア好きの母を見て育ち、我が家は外国製壁紙でアクセントクロスを貼ったり、床をタイル貼りをしたりと、今から40年前では、めずらしいインテリアだったのかもしれません。
    インテリア雑誌や洋書がすぐそばに沢山あったのでいつも見ていました。
    また外国映画を見ては、
    「インテリアが素敵だからそこにスポットを当てて見るのもたのしいよ。」と、よく母に言われたものです。

    そんな影響でか、25歳でインテリアショップに就職。
    フランス人社長が経営するインテリア関連セレクトショップの販売スタッフとして勤務。
    企画・運営職になり、店舗も全国展開。
    西日本地区10店舗を担当し、充実した毎日を送っていました。

    • 当時住んでいた家。母と姉と。写真中央が私。 末っ子で自由奔放に育ちました。 我が家のインテリアコーディネーターは母でした。
    • インテリア雑誌や洋書を見るのが好きだった子供時代。
  • 2. リーマンショック

    入社し10年を過ぎた頃、2008年リーマンショックが訪れました。
    お客様やまわりの環境にも恵まれ、充実した毎日を過ごしていた私にとってこの時悲しい出来事が起こりました。

    会社の倒産です。

    職を失った30代後半の私、そして世の中は大不況。
    同じ職種で再就職先を探す毎日が始まります。

    他の方向性を模索してみたり、背伸びをして面接に臨む中、「私って必要とされていないのかな?」と毎日思っていました。
    また同時に、「人生で自由に動ける時間は今でしょ!」という発想が浮かび、大好きだったフランスの旅に出ました。40歳近くして、自分探しの旅です。

    パリの街を歩きショーウィンドーを眺めます。地下鉄に乗り、蚤の市に出かけ美術館にも行きました。
    街の美しさ、カフェやホテルのインテリアに心打たれました。

    これを読まれると、なんて優雅な旅だと思われるかもしれませんが、その時その時の感動はあれど、夜になると「私って必要とされてないのかな?」この言葉が襲ってきます。
    日本へ帰る飛行機に乗っても「私とは何ぞや?」この問いに答えは出ませんでした。

    • フランス製のインテリアショップで10年間企画・運営スタッフとして勤務。一番右側が私。
    • パリの街の美しさに触れながらも思い悩む自分探しの毎日。

    帰国しハローワークへとまた通い始めます。
    インテリアに関わる仕事ならもう何だっていいや・・・と投げやりになった時、ふと、「このままなら何でもいい人生になってしまう。私を必要としてもらえるように、もっとインテリアを、もっとその先を学ばねば。」と思い、40歳で一念発起し、インテリアの学校に入学しました。

    パリで出なかった答えが、ハローワークの求人デスクを前に出たのです。
    不思議なものですね。

    早速40歳の学生生活が始まり、20代の学生さんに混じって寝る間も惜しんで勉強しました。寝る時間は通学の電車。
    大口を開けていびきをかいて通学する40歳女子(笑)、です。
    死に物狂いで頑張った甲斐があり、皆勤賞と共に主席で卒業。
    インテリアスタイリングの会社に就職し、リフォーム番組の最終スタイリングや中古住宅のリノベーションを担当しました。

    やっとのことで、手に入れたお仕事。
    それなのに、さらなるムクムクとした想いが芽生え始めます。
    「私、まだやるの?」。さらなるやりがいを求めて、また歩き始めました。
    今思うと、40代ってこれからの先の人生を見つめ直す時期なのかもしれません。

    • 主席で卒業し、講師資格も取得しました。
    • リフォーム番組のインテリアスタイリングのお仕事。
  • 3. 新築住宅の道へ

    お客様と長い時間を共有しお仕事をしたいと、新築戸建住宅のインテリアコーディネーターに転進しました。

    1~2日で終了するリフォーム番組や、短期間のリフォームのお仕事とは違い、新築のお仕事は4~5ヶ月お客様と時間を共有させて頂きます。
    建物が完成する前から何度もお会いし、更地だったところに、一生の大きなお買い物が完成するまでお客様と一緒に過ごす時間はかけがえの無い時間です。
    完成して「ありがとう!」と涙を流された時の感動は言葉では表せません。

    お客様に喜んでいただくことはもちろん、仕事が円滑に進むように、家づくりに関わる全ての方たちと監督と共に現場を見守ることが、コーディネーターの仕事と考えます。

    私は全力で業務に取り組み、またあの頃と同じように充実した毎日を過ごしていました。

    • モデルハウスのコーディネート
    • お客様との打合せ風景
    • 外観コーディネート
    • 内装デザイン
  • 4. 余命宣告

    そして2017年1月、『無添加住宅』という素晴らしい住宅に出会いました。
    生まれ育った、尼崎武庫之荘で一生をかけて地域のお仕事がしたいという思いと、ホームページで見る社風に惚れ込み、『遊友建築工房』に入社しました。

    自分で言うのもおかしいのですが、弊社のスタッフは、相談役の福永・社長の上掛を始め、皆、心の温かい人ばかりです。
    なんて素晴らしい人達にめぐり会えたのだろう・・・
    大好きな地元で、素敵な人達と無添加住宅のお仕事がスタートした頃、人生最大の出来事が起こりました。
    リーマンショックの失業など小さい出来事です。

    私はガンになりました。

    2003年に寛解(かんかい)したガンが再発、肺やリンパ節まで転移し、そして余命宣告を受けました。
    私の命はもう長くないと・・・

    ただただ涙がでるばかり、先立つ不幸を両親に申し訳なく思いました。可愛い甥、姪たちの成長を見届けたい。
    仕事だって始まったばかり、やりたいことがたくさんあったのに、何で私が!

    すぐに治療しないと命は長くないと聞かされたのでいつまでも泣いてる暇はありませんでした。
    ただ、治療は自分自身が納得できる方法でないと、私は死んでも死にきれない。
    絶対に後悔はしたくない!と思いました。

    会社では、相談役福永のひと声で皆が集められ私の病気や治療の為に、ありとあらゆる情報を集めようと話し合ってくれました。

    社長は泣いていました。
    必死で涙をこらえてくれていた仲間の表情、あの時のことを今でもはっきりと覚えています。

    親友に話をした時はみんな夜中に集まって、知り合いのそのまた知り合い、またその知り合いと名医や病気に関わる情報を徹夜で探して一冊の資料を作ってくれました。

    怖くてたまりませんでした。暗い洞窟の中にいるようでした。
    でも、私には必要としてくれる人がいる、この人達の為にも頑張らなければならないと思い、全国の名医と言われる方々の診察を受けました。

    たどりついたのは、結局のところ標準治療とされる抗ガン剤治療でした。
    脱毛や手足のしびれ、様々な副作用が予想される中1日でも長く生きたいという延命の選択です。

    今思えば治療法を決めるまでがどん底の状態。ですが、決めた瞬間に立ち上がり、私は信じる道を突き進みました。幼い頃から、両親には好きなことをさせてもらい、信じる道に進ませてくれた、だから信じる道を突き進みました。

    抗ガン剤治療が始まり、そろそろ髪が抜けはじめる頃、私は楽しいことを思いつきました。

    14年前のガンでも、髪がどんどん抜ける恐怖を知っていたので、どうせ抜けるなら抜ける前にバリカンで断髪式をしよう!と「断髪式をするから、ハサミとバリカンそれとワイシャツとネクタイ、スラックスを各自持参して。」と親友2人に声をかけました。

    さあ、いよいよ断髪式が始まります。

    バリカンをする前に「こんな髪型にして!」と当時、時の人「ブルゾンちえみの髪型」にしてもらいました。

    親友2人には持ってきた服に着替えてもらい、ミュージックスタート♩ そして写真撮影♪そう!当時大流行のブルゾンちえみwithBのコスプレをしました。

    髪が抜けるのはつらくて悲しいけれど、どうせなら楽しく過ごしたい!と 私も友人も切ないのか楽しいのか分からない感情で、ゲラゲラと笑い、そしてワンワン泣きました。

    • 涙と笑いのコスプレ写真!
    • "
      脱毛が始まる前にベリーショートにしました。

    それからの私はどんな治療にも耐えました。
    家族や友人はいつも励ましてくれました。相談役や社長もお見舞いに来て下さり、美味しいものを沢山食べようと食事にも連れて行って下さいました。
    会社の仲間は皆、それぞれの励まし方で、いつもいつも応援してくれました。

    生きることとは何か?
    自分は何のために生まれてきたのか?
    病院の庭園をウォーキングしながら、毎日自分の存在価値を考えました。
    私にとって生きること、生きる喜びは、「誰かの役に立ちたい、誰かに喜びや光を残せる自分になりたい。」です。

    そして7ケ月が過ぎた頃、私の身体からガンは消えました。

    「ガンが消えたよ!」とお医者様に言われた時は奇跡を感じました。 皆で泣いたことを鮮明におぼえています
    誰かに必要とされること、必要とされる自分になりたいという気持ちは、生きる力になるんですね。

    • "
      お見舞いに来てくれた大好きな人達。 ウイッグの私(中央)
    • 2018年春、念願の桜を見ることができました。
    • 私の回復を泣いて喜んでくれた病院で知り合ったおじいさん。
  • 5. 誰かのためにできること

    2人に1人がガンになる時代。
    日々医学は進歩し、薬が開発・認可され、今はガンの治療をしながら働く時代になりました。

    私はガンが消えてからも予防の為、定期的に抗がん剤治療(分子標的治療)をしながらお仕事をしています。
    今でも手足のしびれや筋力の低下、白血球減少などの副作用があり、髪もまだ生えそろわないのでウイッグをして生活しています。

    1日でも笑顔で長く生きるために、食物や環境の勉強を始めました。

    食物は体に害のないオーガニック野菜や無添加食品、健康的な環境で育ったお肉を頂き放射線物質にも気をつけています。
    環境問題化学物質の氾濫など、今まで知らなかったことがたくさんありすぎて、「知らない」ということが、とても恐ろしいことだと学びの日々です。

    • 有機野菜や無農薬の雑穀、 健康的な環境で育ったお肉を使ったお料理。
    • 有機野菜はそのまま食べてもとても美味しい。
    • サイディングでは表現できない自然で風合いのある外観。
    • 体に優しい漆喰と天然素材の家

    ガンのこと・健康のこと、そして大切なお住まいのことを私は、『むてんかびと』『健康のプロ』として、困っている方の不安を受け入れ、力になりたいと思っています。

    2017年『無添加住宅』に出会い、お仕事を始めた矢先でガンの再発。
    健康的で安全な住宅をご提案するという私だからこそできる「本当の仕事」はこれからです。

    健康的な環境で、大切な人達と共に1日でも長く笑顔で過ごしたい。

    これまでの出会いと経験を生かして、無添加住宅をはじめとする本当にいい家づくりを頑張ります。

    そして、遊友のみんながお客様の為・自分自身の為にも笑って前へ進めるように役に立ちたいと思っています。

    ありがとう!出会えてよかった!

    • 復帰の時みんなから花束をいただきました。
    • 2018年春、新社屋がオープンしました! 左から福永相談役、コーディネーター丸山、私、上掛社長

    誰かのためにできること・・・

    親、兄弟、友達、仕事仲間、そしてお客様。
    すべてのご縁は、自分自身が生むものです。

    出会えたあなたに『あなたが必要です』いつもありがとう!って伝えたい。

    Do my best!

    出会うべくして出会えたあなたと共に

    「明日がもっと好きになる」

    そんな風に過ごしていけたら嬉しいです。

    • がん患者イベントでプロカメラマンに撮影してもらいました。 Do my best!何事もベストを尽くします。
    • お客様の笑顔のために大好きな遊友建築工房の仲間とこれからもずっと・・・